(中学校行事)日本の伝統文化行事にまなぶ~福井独自の年中行事「天神講」~|KANAIGAKUEN ACTION BOOK|金井学園

 

--1月25日 

今日は学問の神様で知られる、菅原道真公の命日にちなんだ「天神講」です。福井県嶺北地方を中心には、正月から飾っていた天神様の掛け軸に焼きガレイを供える風習があります。子どもに食べさせると学力が向上すると伝えられています。

なぜ菅原道真公とカレイなのか、そこには諸説あるようですが、一説には福井藩主 松平春嶽が関係しているとも言われます。


福井中学校では、独自の教育カリキュラムや、国際交流プログラム、部活動などを通じて生徒ひとりひとりの夢の実現のために全力サポートをされていますが、その一方で、建学の理念にもあるように、日本や地域の伝統文化を通した心の学習にも力を入れています。

>【関連リンク】福井中学校の学びの特色 を見る

来月に入ると、「元服式」を挙行したりするのも、そうしたことの一環です。

私たちも改めて、長く続く伝統の中に込められた昔の大人たちの子供への想いを感じる機会としたいものです。それにしても、撮影しながら焼き立てのカレイの美味しそうな匂いが気になりました。

 


◇ ◇ ◇

ここで、福井中学校から以前いただいた、生徒さんに配布している「天神講」に関する資料をご紹介いたします。

 

伝統文化行事「天神講」

 

一、菅原道真以前の天神様について

なつかしい童歌(わらべうた)に「ここはどこの細道じゃ天神さまの細道じゃ どうか通して下しゃんせ 御用のないもの通しゃせぬ この子の七つのお祝にお札(ふだ)を納めに参ります 往(ゆ)きはよいよい帰りはこわい こわいながらも通しゃんせ」というのがあります。この歌にある天神様とは、今の埼玉県にある天神社であるといわれています。

この歌の意味には、①人身御供(ひとみごくう)(いけにえとして神にそなえる人のからだ)をとったという説 ②番所の侍がおどしつけたという2つの説がありますが、本当のところはわかりません。とにかく、この歌の中にある天神様というのは、菅原道真の天神様ではないのです。道真が天神としてまつられる以前から天神というのがあって、これは、天上神と地母(ちぼ)神をあわせたような性格の神様でした。この神様は、天から降臨(こうりん)してその地方地方に恵みをほどこす、全国各地にまつられた神だったのです。では、その神様と菅原道真がなぜ結びついたのでしょう。

二、菅原道真―遣唐使の廃止を進言した大学者

菅原道真は、生徒諸君もよく知っているように、平安時代の貴族で、政治家や学者として活躍した人です。道真の祖父清(きみ)公(きよ)と父の是(これ)善(よし)は、ともに文章(もんじょう)博士(はかせ)(中央の役人を養成する大学寮で、詩文や歴史を教えた教官)で、従(じゅう)三位(さんみ)までのぼった学者貴族でした。そういう家庭環境にあった道真は、誌や文章の才能にすぐれ、祖父や父と同じように文章博士の地位につきました。

その後、四十二歳で讃岐(さぬき)(今の香川県)の国司になりました。都に帰ってからは、当時の宇多天皇に重く用られ、五十歳で遣唐使に任命されたのです。しかし、道真は、遣唐使に反対しました。唐の国は今や落ちぶれて混乱している。危険をおかしてまで使いを派遣しても意味がない、と主張したのです。そして、その主張は受けいれられたのでした。これが八九四年のことで、歴史の授業で学習する重要なことがらですね。ちなみに、唐が滅んだのは、道真が進言して一三年後の九〇七年のことです。道真の先見の明には関心させられます。

醍醐(だいご)天皇の御代(みよ)になって、道真は五十五歳で右大臣に昇進しました。当時第一の実力者、左大臣の藤原(ふじわら)時平(ときひら)とならんで政治をすすめる立場になったのです。しかし、九〇一年一月二五日、とつぜん太宰権(だざいごんの)帥(そち)(九州の太宰府の長官)という地位に落とされてしまったのです。これは、藤原時平のはかりごとだといわれていますが、真偽(しんぎ)のほどはわかりません。九州に流された道真は、都の空をあおぎながら、二年後悲しみのうちに世を去りました。五十九歳でした。次の歌は、道真がさびしく都を去る気持ちをうたったものです。

 

「東風(こち)吹かば にほいおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ」

 

 

天神信仰

 

 

九州でさびしく死んだ菅原道真の事は、時の貴族たちの頭から離れませんでした。そして死後四十数年後にして、多くの神官や僧侶、男女の夢まくらに道真の霊があらわれだしたのです。時を同じくして、都に疫病(えきびょう)がはやり、落雷や火災が相次いだため、これは道真の祟(たた)りであろうと恐れられました。

京都のあちこちに落雷し、人々は恐怖のただなかにありました。しかし、たった一カ所だけ落雷の難にあわないところがあったのです。そこは道真の邸(やしき)があった「桑原」の地でした。人々は落雷がでて雷が鳴りだすと、「くわばら くわばら」と呪文(じゅもん)を唱えて雷の難を免(のが)がれようとしたのでした。お―くわばら くわばら

このようにして、しだいに道真の怨霊(おんりょう)を恐れる風潮が高まり、ついに天皇の御心(みこころ)をも動かしたのです。勅旨(ちょくし)(天皇の命令)をもって、京都の北野にある天神祠(ほこら)のかたわらに霊廟(れいびょう)を建て、その霊をなぐさめました。そのききめがあったのか、以後祟りはぴたっとやんだのでした。

以上のように、古代信仰の天神と、道真の天満宮とが結びついたのが、全国津々浦々の天神社に広がっていきました。それにしたがって、本来の天神信仰は薄れていき、道真イコール天神様となったのでした。

今日、1月25日は、初天神です。

2月25日が道真の命日で、月々の25日に日本各地の天満宮で縁日が開かれています。この日は、元旦に床の間などに飾られた天神様の画像に、道真が好きだったされる焼き鰈(かれい)などを供(そな)える風習があります。

 

これは、道真の遺徳(いとく)をしのび、わが子が道真のように賢い子に育つように、と願うものですが、諸君にもそうあってほしいと思います。

 

◇ ◇ ◇

 

あとがき

 

いかがでしたか。生徒たちはこうした伝統からどんなことを学んでくれるでしょうか。福井中学校では、こうした伝統文化を通した教育活動を永年に亘り実施しています。またこのTopicsでもとりあげさせていただきたいと思っています。

(※この記事は昨年1月25日に投降したものを一部変更して再掲したものです。)

文責:学園広報 KEI NEWS STAND


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